集団で見つけた関係は、個人にも当てはまるのか

「睡眠時間が長い人ほど、精神的に健康である」。調査データからこういう結果が出たとします。では、こう言い換えてよいでしょうか。「今より長く眠れば、あなたはより健康になる」。相関と因果の取り違え、というよく聞く注意とは別の話です。仮に眠りが健康を高める因果が本当にあるとしても、この言い換えには飛躍が残っています。最初の文は人々を比べたときに見える傾向の話で、言い換えた文は1人の中で起きる変化の話。語られている対象が、途中で集団から個人にすり替わっているからです。

個人間の関係と個人内の関係

最初の文のように、人と人を比べたときの差に見られる関係を、個人間(between-person)の関係と呼びます。よく眠っている人たちは、そうでない人たちより健康度が高い、という傾向です。一方、ある人が眠る時間を増やしたら、その人の健康はどう変わるか。こうした1人の中での変化に見られる関係は、個人内(within-person)の関係と呼ばれます。

この2つが食い違う有名な例に、タイピングの速さとミスの関係があります(Hamaker, 2012)。集団で統計をとると、速く打てる人ほどミスが少ない。熟練した人は速くて正確だからです。ところが1人の中で見ると、関係は逆向きになります。いつもより速く打とうとすれば、ミスは増える。同じ2つの変数なのに、人と人を比べるか、1人の時間を追うかで、関係の符号すら変わってしまいます。

エルゴード性という条件

では、集団で見つけた関係を個人に当てはめてよいのは、どういうときなのでしょうか。この問いに答えたのが Molenaar (2004) です。集団の統計的な構造と個人の時系列の構造が一致するための条件は、エルゴード性と呼ばれます。おおざっぱに言えば、誰もが同じ確率的な仕組みに従っていて、その仕組みが時間とともに変化しない、という条件です。なお発達も、学習も、環境への適応も、この条件を満たしません。どれも、行動を生み出す仕組みそのものが時間とともに書き換わっていく過程だからです。しかも、このずれは調査人数を増やしても埋まりません。増えるのは個人間の関係の推定精度であって、個人の中で起きていることには近づかないからです。

では、個人の中で起きていることを知りたいときは、どうすればよいのでしょうか。Molenaar の答えはまっすぐで、個人を時間方向に追ったデータを、それ自体として分析することです。実際この論文でも、22人を90日間繰り返し測ったパーソナリティ検査の時系列を、1人ずつ分析しています。

個人内と個人間を区別するというこの発想は、多くの人を少数の時点で追いかける縦断データ分析にも広がっていきます。縦断データで変数どうしの影響関係を調べる RI-CLPM というモデルは、まさに「従来のモデルでは個人間の関係と個人内の関係が混ざっていて、個人内の関係を純粋に反映していない」という批判から生まれたものです(宇佐美, 2022)。また、量的研究で発見できる集団としての傾向は必ずしも1個人の中で生じるとは限らないからこそ、1人の中で生じる変化を質的に見ることに意味がある、と量的調査に質的調査を組み合わせることの重要さにもつながります。

仮定への自覚

とはいえ、1人を繰り返し測ったデータが手に入る場面ばかりではありません。手元にあるのは一時点の横断データだけ、ということのほうがむしろ多いはずです。集団で捉えた概念間の関係性を個人に当てはめて語るような場面は、いたるところで見られますし、それ自体が誤りだとは思っていません。「集団で見つけた関係が個人にも当てはまる」という仮定を置いたうえで、主張をすることはできるからです。問題は、その仮定を置いていることに自覚的かどうか、のほうにあります。

統計等を勉強しはじめてから、私の中でデータ分析の印象は、どんどん主観的なものへ変わってきました。「データに基づく」と言うととても客観的に聞こえますが、前処理をどう行うかで結果は変わりますし、分析モデルも、何かしらの仮定を置いたうえでそう言える、というだけのものです。たとえば回帰分析で係数に添えられる p 値や信頼区間は、誤差が正規分布に従う等の仮定のうえに成り立っている数字です。回帰診断のように仮定の破れを調べる方法はありますが、そこで見つけられるのは「合わない証拠」のほうで、仮定が正しいことを積極的に示せるわけではありません。そして、その仮定を置くと決めているのは分析者です。

同じ分析をして、同じ主張をするのだとしても、仮定に無自覚なまま主張するのと、自覚したうえで主張するのとでは、結果は同じに見えても質的に異なるように感じます。データ分析はいろんな仮定を置いたうえで主張を行う営みだということに、これからもより自覚的でありたいと思っています。

参考

  • Molenaar, P. C. M. (2004). A manifesto on psychology as idiographic science: Bringing the person back into scientific psychology, this time forever. Measurement: Interdisciplinary Research and Perspectives, 2(4), 201–218.
  • Hamaker, E. L. (2012). Why researchers should think “within-person”: A paradigmatic rationale. In M. R. Mehl & T. S. Conner (Eds.), Handbook of research methods for studying daily life (pp. 43–61). Guilford Press.
  • 宇佐美慧 (2022). 個人内関係の推測と統計モデル:ランダム切片交差遅延パネルモデルを巡って. 発達心理学研究, 33(4), 267–279.