弱さのアピールにモヤっとしてしまうとき

自分を弱い立場に置いてあれこれ言う人に、モヤっとしてしまうことがあります。弱い立場にあることだけを主張して、はっきり何かを要求されたわけではないのに、暗に気遣いを求められている気分になるときも、同じ感覚が起きます。

一方で、弱い立場にある人の事情を理解して、想像力を働かせて接することは、人として大事なことだとも思っています。だからモヤっとした直後には、こう感じてしまう自分は人としてだめなんじゃないか、という感覚が続いてやってきます。かといって、だめだと思えばモヤモヤが消えるわけでもありません。今回は、このモヤモヤがそもそも何に反応しているのかを、研究を手がかりに切り分けてみます。

弱さのアピールが持つ力

弱さを見せることは、それ自体が相手を動かす力を持っています。

Ok et al. (2021) は、自分の不利や苦しみを意図して周りに伝える行動を「被害シグナリング」と呼んで、一連の研究を行いました。米国とカナダの調査では、「欲しいものを得るために、傷ついたふりをしたことがある」と答えた人が2〜3割、「そうしたことをした人を知っている」と答えた人は7割を超えていた、と記されています。

そして、このアピールは実際に力を持ちます。彼らの実験では、被害を受けたと見なされた人は助けてもらいやすく、その人が「善良な人でもある」と見なされると、助けようという気持ちはさらに高まりました。彼らの説明によれば、被害者の立場に立つと、要求はもっともなものに見え、周りはその人を非難しにくくなり、言い分が通りやすくなります。つまり弱さのアピールは、周囲の共感や助けを引き出し、反論を封じる方向に働きます。

この研究を見ると、モヤっとさせているものが少しはっきりしてくるように思います。引っかかっていたのは、弱さそのものではありません。弱さが免罪符になって、こちらの共感が一方的に引き出されたり、自分の振る舞いを省みないことが正当化されたりする、この力の使われ方のほうです。実際、目の前でただつらそうにしている人に対してはモヤっとすることはありません。

「弱いこと」と「弱さの使い方」の区別

ではそうした弱さの使い方は、弱い立場そのものから自然に出てくるものなのでしょうか。もし弱い立場に置かれれば誰でも弱さを頼りに要求を通したくなるのなら、使い方へのモヤモヤは、結局は弱い立場にいる人みなに向かってしまいます。

研究は、そうではないことを示しています。Ok らの調査では、被害シグナリングの多い少ないを決めていたのは、性別・民族・障害・収入といった、実際に不利になりやすい条件ではありませんでした。それらの影響を差し引いてもなお、アピールの頻度を予測したのは、他人を思い通りに動かすことをためらわない性格傾向です。実際にどれだけ弱い立場にあるかと、弱さをどれだけアピールに使うかは、別々に動いていたということです。

ただ、これはアピールという行動の話です。行動には出さなくても、心の中で「自分は被害者だ」という感じ方が募っていくことは、弱い立場に置かれれば避けられないのかもしれません。この心の側を調べたのが Gabay et al. (2020) です。対人関係の中で「自分はいつも被害者だ」と感じ続ける傾向を「対人的被害者意識」と名付けて測定したところ、これは時間を置いても変わらない安定した傾向として測れる一方で、実際に深刻な被害を受けた経験とは独立していました。深刻なつらい経験をしてもこの傾向が強くならない人もいれば、大きな被害経験がなくてもこの傾向が育つ人もいる、と明記されています。著者らはこの傾向の出どころを、本人の弱さではなく、子どもの頃の身近な大人との関係にあると考えています(実際、愛着理論でいう不安型の愛着スタイルの強さが、この傾向を予測していました)。

このように弱い立場にあることと、弱さの使い方は、別のものです。想像力は、弱い立場という状態に向けるもので、一方のモヤモヤは、弱さの使われ方に反応した感覚なので、両方が同時に自分の中にあっても矛盾はしていません。

見分けられない曖昧さ

そうすると、今度は目の前の相手の弱さの使い方の良し悪しを見分けたくなりますが、その見分けは簡単ではありません。

まず、研究者たち自身が線を引いています。Ok らは、被害のアピールの多くは実際にあった被害を正直に語ったものであり、苦しみを口にするかどうかで人を善悪に分類する読み方を強く戒める、と明記しています。アピールが本物かどうかを外から確かめる方法は、研究にもありません。

そして実際の場面では、弱いんだから何かしてほしい、とはっきり要求されず、暗に察してもらおうとする形で要求が行われることもしばしばです。そうなると、被害シグナリングを使われる側が察しすぎて勝手に消耗しているだけなのか、それとも相手に意図的に弱さを使って要求に従わされそうになっているのか、切り分けはすごく曖昧になります。

認めることと応じることの切り分け

ただ、相手がどちらなのか決められないままでも、成り立つ応え方があります。

手がかりは、被害者の立場に立つ人が何を求めているか、です。Gabay らが被害者意識の中身の1つに挙げているのが、自分の被害が認められ、相手が非を認めることを強く求める気持ち(承認の欲求)です。だとすると、弱い立場からの要求の根っこにあるのは、個別の要求が通ることそのものより、「認められること」なのかもしれません。

そうであれば、できることはシンプルです。つらさはつらさとして「そう感じるのは理解できる」と認めたうえで、要求に応じるかどうかは別に決める、という応え方です。認める対象は感情であって、行動や要求ではありません。応じるとしても、それは押し切られた譲歩ではなく、自分で選んだ配慮になります。

参考

  • Gabay, R., Hameiri, B., Rubel-Lifschitz, T., & Nadler, A. (2020). The tendency for interpersonal victimhood: The personality construct and its consequences. Personality and Individual Differences, 165, 110134.
  • Ok, E., Qian, Y., Strejcek, B., & Aquino, K. (2021). Signaling virtuous victimhood as indicators of Dark Triad personalities. Journal of Personality and Social Psychology, 120(6), 1634–1661.