今年の6月に、「ひだまり」という iOS アプリをリリースしました。誰かにかけてもらった親切や、自分が誰かに渡した小さなやさしさを書きとめて、あとから見返す。機能としてはほぼそれだけの、小さな記録アプリです。
背景には、大学院でアタッチメント理論に触れる中で出会った、ひとつの研究の系譜があります。今回はそれを紹介しながら、このアプリに込めた仮説を書いていきます。
心の安全基地
アタッチメント理論は、人と人との情緒的な結びつきについての理論です(日本語では愛着理論とも呼ばれます)。人は生まれつき、不安なときや困ったときに、守ってくれる誰かのそばにいようとする仕組みを備えている、というのが出発点です。そして、助けを求めたら応えてもらえるという経験を重ねると、「自分は大切にされる価値がある」「他者は信頼できる」という感覚が育ち、それがその後の人間関係の土台になっていくと考えます。
この理論の中心的な概念のひとつが安全基地で、困ったときに戻っていける存在のことです。不安な気持ちを素直に話せて、頼ることができて、落ち着きを取り戻したらまた自分の活動へ出ていける。子どもにとっては親がその役割を担いますが、大人にとっての安全基地は友人やパートナーなど、一方向に与えられるものではなく、双方向に関係を育てていく中で作られるものです。
大学院でこの理論を学んだとき、とても大事な内容だと感じました。なんとなく持っていた生きづらさの感覚の、その根っこがアタッチメントのあたりにあるように思えたからです。それで、学んだことのアウトプットとして何か作れないかと考えるようになり、介入研究を調べる中で見つけたのが、Secure Attachment Priming と呼ばれる一連の研究でした。
安心を思い出すという介入
安心させてくれる誰かのことを思い浮かべるだけで、心の状態は少し変わる、ということを実験で確かめてきたのがこの分野です。
Mikulincer & Shaver (2020) の総説によれば、人は「困ったらあの人に頼れる。頼れば楽になって、また自分のやりたいことに戻れる」という筋書きの知識を心の中に持っています(secure-base script と呼ばれます)。実験では、母親が乳児を抱く絵を見せる、支えてくれる人の名前を提示する、その人との経験を思い浮かべてもらう、といった手続きでこの知識を呼び起こします。すると気分が改善し、動揺からの回復が速まり、学ぶ意欲や、困っている人を助けようとする気持ちまで高まることが報告されています。Gillath et al. (2022) が120の研究をまとめたメタ分析でも、全体として中程度の効果(d = .51)が確認されており、特定のラボだけで再現される現象では無いことが確かめられています。
加えて、効果は繰り返すことで少し残ることも示されています。Carnelley & Rowe (2007) は3日間にわたってプライミングを繰り返し、最後のプライムから2日後の時点でも、自己観や関係への期待がポジティブになり、アタッチメント不安が下がっていたと報告しています。週に1回、安心を感じた関係の記憶を書くことを4ヶ月続けた実験では、性格特性としてのアタッチメント不安が徐々に下がっていったという報告もあります(Hudson & Fraley, 2018)。一回で人が変わるような話ではありませんが、思い出すことを繰り返すうちに、安心の感覚そのものが少しずつ育っていくのかもしれません。
ひだまりに込めた仮説
ひだまりは、この「思い出すことの繰り返し」を自分の日常から作れないか、と思って作りました。
研究のプライムには、支えてくれる人との経験を本人に思い浮かべてもらう課題もあります。ただ、小さな出来事は、時間が経つと思い出そうとしてもなかなか出てきません。そこでこのアプリでは、誰かにかけてもらった親切や自分が渡したやさしさを、起きたその日のうちに書きとめておきます。思い出したいとき、具体的な出来事の形でそこにある。この記録がプライミングの素材として働くのではないか、というのがこのアプリの中心の仮説です。
もうひとつ、記録という行為そのものにも狙いがあります。このアプリを企画していた頃、「社会人になると嫌なやつになる」という投稿が X で話題になっているのが目に止まりました。なぜそうなるのかを考えたとき、職場で身につく、見返りを前提としたギブアンドテイクの見方が、プライベートの関係にも染み出していくのではないかと感じました。見返りの勘定に目が行くほど、勘定に載らない小さな配慮や心遣いを、当たり前のものとして素通りするようになります。ただこれは、性格そのものが変わってしまったというより、環境が引き出している構えなのだと思います。人の中には Taker と Giver の両方の側面があって、状況によってどちらかが顔を出す。置かれた職場の環境が Taker を呼び出すのなら、逆に、Taker のスイッチが入りにくい環境を自分の身の回りに作ることもできるはずです。書きとめようとすると、日々のやさしさにアンテナが立ち、素通りされていたはずの小さな配慮が目に入るようになる。そのような変化もあるといいなと思っています。
小さな実験として
Hearthside Lab の「Lab」には、まだ正解の見えない問いに小さく実験を重ねる、という意味を込めています。ひだまりもその実験のひとつで、これで効果があると嬉しいな、というくらいの気持ちで置いています。
アプリは App Store からダウンロードできます。記録は端末の中だけに保存され、アカウント登録も不要です。日々の小さなやさしさを書きとめる場所として、気軽に使ってもらえたらうれしいです。
参考
- Carnelley, K. B., & Rowe, A. C. (2007). Repeated priming of attachment security influences later views of self and relationships. Personal Relationships, 14(2), 307–320.
- Gillath, O., Karantzas, G. C., Romano, D., & Karantzas, K. M. (2022). Attachment security priming: A meta-analysis. Personality and Social Psychology Review, 26(3), 183–241.
- Hudson, N. W., & Fraley, R. C. (2018). Moving toward greater security: The effects of repeatedly priming attachment security and anxiety. Journal of Research in Personality, 74, 147–157.
- Mikulincer, M., & Shaver, P. R. (2020). Broaden-and-build effects of contextually boosting the sense of attachment security in adulthood. Current Directions in Psychological Science, 29(1), 22–26.